紅の豚.タイトル
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アドリア海

イタリア半島とバルカン半島挟まれた長さ約800キロ、幅平均約160キロの地中海の内海。バルカン半島側の海岸線は入り組んでおり、島が多い。沿岸の気候は温和で、海は青い。2006年7月現在、アドリア海に面する国はイタリア、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、アルバニアであり、物語当時に面していた国はイタリア、ユーゴスラビア(セルビア・クロアチア・スロベニア王国)、アルバニアと考えられる。

飛行艇(水上機)

水上で発着する飛行機でポルコの駆るサボイアS−21のように胴体下部が船のようになって水面に離着水出来る飛行機を指す。通常、カーチスの愛機カーチスR3C−Oのように胴体自体は着水せず、フロート(浮舟)で着水する飛行機は水上機(フロート水上機)と呼ぶ。1903年にライト兄弟が陸上飛行機で人類初の動力飛行を成功させたが、水上機の最初の動力飛行は1910年にアンリ・ファーブルが成功させている。飛行艇(水上機)の利点は、陸地に滑走路が不要な事、裏返せば、飛行機創製期の飛行機開発技術・能力が乏しかった時代に、飛行機の離陸には長距離の滑走路が必要だったと言える。このような理由やシュナイダー・カップ等の影響もあり飛行艇(水上機)は1927年から1939年までの短い間ではあったが世界最速の乗り物であった。しかし、水上での浮力を得なければならない関係上、機体体積は陸上飛行機より大きく、空気抵抗の増大を伴う飛行艇(水上機)の機体形状は高速飛行には不向きである。また、陸上飛行機の技術的発展も伴い、飛行艇(水上機)は高速機の座を陸上飛行機に譲る事になる。

シュナイダー・カップ(シュナイダー・トロフィー・レース)

水上機の発展を願うフランス人富豪ジャック・シュナイダーの提唱によって始まった水上機のレース。賞金は1,000ポンド(但し最初の3年に限る)。1913年から始まり、1915〜18年まで第一次大戦の為中断。1919年に再開され1927年まで毎年、後、隔年で1929、1931年と計12回開催される。(1924年はアメリカのみの参加となったが、アメリカはスポーツマンシップを尊重しレースを辞退、大会自体が不成立。)出場できるのは水上離着陸のできる機体。主催はフランスの航空協会と参加国の航空協会。各国の航空協会は3チームまで代表を送り込める(補欠交代チームも3チームまで登録可能)。競技は設定された水上の3点の上空を通過周回するルールとされ、全長280km(1921年から350kmに延長)の3角形のコースの速度で競われた。優勝した国が次の大会を開催し(開催国となり)、5年の間に3回優勝した時点でレースを終了し、トロフィーはその優勝国が永久に保有するとされた。結果1927、29、31年に3大会連続で優勝したイギリスがトロフィーの永久保有権を獲得して終了する。各国の優勝回数は、イギリス5回(1914、22、27、28、31年)、イタリア3回(1920、21、26年)、アメリカ2回(1923、25年)、フランス1回(1913年)だった。尚、1919年は濃霧の中、イタリアのみゴールし優勝。しかしコースを外れたとのクレームがあり、イタリアは紳士的態度で自主的に優勝を辞退している。もし、この優勝がカウントされれば、イタリアの優勝回数は4回、それ以前に、1919、20、21年と5年間に3回優勝の用件を満たしており、レースの終了、トロフィーの永久保有国となっていた。ちなみに、本作では1927年にアメリカ(カーチス)が優勝となっているが、同年の優勝はイギリス(スーパーマリン S.5)であり史実とは異なる。

賞金稼ぎ

指名手配犯や行方不明者の捜索・情報提供・身柄確保に懸けられた懸賞金を獲得する事を生業とする者。しかし、本作のエピソードを見る限り、ポルコは賞金稼ぎというよりも、トラブルを解決する事により報酬を得る用心棒のような立場に思える。本編では描かれていないが、「ドブログ市に戻ってきたポルコだがポルコがいない間にクーデターが起きドブロク市は王政下にあった。王党派で第一次大戦中にポルコの部下であったドブロク市守備隊司令官マルチェロ海軍少佐はポルコにドブロク市からの退去を命じる。しかし王女が空賊に襲われる事件が起き、王女を奪還する為にマルチェロはポルコに賞金稼ぎの免許状を再び与える。」といった本編以前の設定が企画の段階であった。

ミラノ

ドゥオモやスカラ座、ミラノコレクションで有名なイタリア北部にある都市でミラノ県の県都およびロンバルディア州の州都。北イタリアの工業地帯の中心でもある。19世紀からミラノには繊維産業をはじめとする軽工業が発達していたが、水力電力の開発とともに19世紀末頃から重化学工業地帯がミラノ市の北郊に多く立地した。イタリアの首都はローマであり政治の中心はローマだがイタリア経済の中心はミラノである。

世界恐慌

1929年10月24日木曜日のニューヨーク株式市場(ウォール街)の株価大暴落に端を発し世界中の資本主義諸国を襲った史上最大規模の世界恐慌。第一次大戦後アメリカの資本に依存していたヨーロッパ諸国に大きな影響を及ぼした。アメリカ合衆国は、1920年代に世界最大の工業国としての地位を確立し、第一次大戦後の好景気を背景に国内には国家財政の安定に対する絶対的な信頼と楽観主義が広がっていた。これにより生産過剰に陥り、それに先立つ農業不況や合理化による雇用抑制と複合して株価が大暴落した。当時、ヨーロッパ各国の銀行の多くは戦時債務や戦後復興における融資先としてアメリカの銀行と密接な関係を持っており、そこからアメリカ資本が撤退することはヨーロッパ経済の危機を意味していた。恐慌に対する対応として英仏両国は自国と植民地による排他的な経済圏いわゆるブロック経済体制、アメリカは政府がある程度経済へ関与する社会民主主義的なニューディール政策を打ち出したが、広大な植民地市場や豊富な資源を持たないドイツやイタリアはこのような状況を打破する政策が持てず絶望感と被害者意識をつのらせ、こうした状況をつくりあげたヴェルサイユ体制そのものを憎悪した。ファシズム運動がこの現状打破するためにより一層強くなる。

ファシズム

ムッソリーニが掲げた政治思想。語源はイタリア語で束・団結の意味のファッショ。国家・民族の発展を最高の目的とし、個人はその目的の為、国家・民族に従属し奉仕すべきものと考える全体主義と呼ばれる政治思想(政治形態)の事。そこでは個人の基本的人権や自由は否定され国家や社会全体の利益が優先された。その為、国民には指導者に対する絶対の服従が強要され、反対者には過酷な弾圧が行われた。

民族

人種・言語・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団。民族主義が行き過ぎると排外的な民族主義に嵩じる場合があり、単一民族による国家の形成・純化・拡大を主張し、対外的に自民族との差異と優越性を主張することがある。その主張が戦争や紛争の原因になる場合がある。アドリア海に面しているバルカン半島は、昔から様々な民族があり、東ローマ帝国・オスマン帝国・オーストリア=ハンガリー帝国といった多民族国家が存在した。西ヨーロッパから単独民族国家の概念がもたらされると紛争が起こりヨーロッパの火薬庫と呼ばれていた。第一次大戦の勃発はバルカン半島の民族問題にあった。
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